無期懲役を望んで新幹線殺傷事件を起こした男、獄中生活は『想像通り幸せ』

無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは

無期懲役囚とは、重大な犯罪を犯しながらも社会から忘れ去られる存在であり、終わりの見えない刑期の中で人間はどのように変わり、あるいは変わらないままでいるのかという問いが浮かびます。特に近年では、あえて無期懲役を狙って犯罪を起こし、その刑務所生活を「とても幸せ」と語る若者が存在しています。

判決に万歳三唱 ”狙った”無期懲役

2018年6月、新幹線の車内で起きた殺傷事件は世間を震撼させました。当時22歳だった小島一朗は、無職で住所不定という背景を持ちながら「一生刑務所に入りたい」「無期懲役になりたい」という目的で、無差別に乗客を襲撃しました。結果的に一人が死亡、二人が負傷し、小島は現行犯逮捕されます。

彼の裁判で、横浜地裁は2019年12月に求刑通り無期懲役の判決を言い渡しましたが、その際、小島は法廷で「ばんざーい」と三回も大声で叫んだと言われています。彼にとって、この判決は狙い通りであり、獄中生活が彼の理想であったことを象徴しています。

今は寝たきり「もういつ死んでもよいや」

無期懲役囚となった彼は現在、寝たきりの状態で保護室に収容され、刑務官の介助によって日常生活を送っています。手紙で彼は、「栄養失調で心停止、すなわち餓死するのを待っている」と語りながらも、自らの罪への反省や謝罪の言葉は一切なく、むしろ「死ぬまで保護室にいるために人を殺した」と告白しています。

期待通りの獄中生活は「幸福」

服役から5年も経たない彼ですが、獄中生活を「幸福」と表現し、その生活が事前の期待通りであることを強調しています。「日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある」と述べつつ、社会ではうまく適応できなかったことが背景にあることも示唆しています。無期懲役の判決に対し、彼は「私と国は一つとなる。無期なら国が死ぬまで面倒を看てくれる」とも記しており、彼の視点からは刑務所がある種の「逃げ場」であることが浮き彫りとなっています。

獄死を決めた無期囚 理由は「倫理の対称性」

一方で、同じ無期懲役囚でありながら、事件を機に考えを改めた者もいます。美達大和というペンネームで著作を発表している男性は、すでに30年近く刑務所に服役しており、仮釈放の機会を自ら放棄しています。彼は反省の結果、社会に戻ることを拒絶し、被害者やその遺族への贖罪として自らの人生を刑務所内で終える決意をしています。

美達は「倫理の対称性」を強調し、被害者が生き返らない以上、自分が社会で生きること自体が倫理に反すると感じたと述べています。このように、無期懲役を通して自己の罪と深く向き合う者もいることがわかります。

「有期刑なら深い反省はなかった」

美達は自身の無期懲役刑を振り返り、「有期刑であったなら、深い反省はできなかったかもしれない」と述べています。社会に戻ることが確約されていない無期懲役だからこそ、自己と向き合う時間を持ち、罪の重さを感じることができたというのです。

性犯罪を繰り返した囚人 無期刑は「死刑よりきつい」

無期懲役囚の多くは、仮釈放がほとんどないため、獄中での死亡が現実的な結末となっています。西日本の刑務所で服役するある男性は、無期懲役について「死刑よりきつい」と感じており、その理由として「無期囚のほとんどが獄中で亡くなるか、出所しても短期間で亡くなる」と述べています。彼はこれまでの有期刑とは異なり、無期刑では懲罰を避けようとしている一方、仮釈放を期待していないと語っています。

無期懲役刑の意味とその限界

無期懲役刑は、日本で死刑に次ぐ重い刑罰です。しかし、仮釈放が現実的でない状況下では、無期懲役は事実上の「終身刑」として機能しています。美達は無期懲役刑について「反省や更生というより、社会の安全のために犯人を隔離しておくための刑罰」と述べ、その効果に疑問を投げかけています。

無期懲役が本来持つべき「反省と更生」の役割は、今やほとんどが失われつつあり、むしろ「一生刑務所で面倒を見てもらえる」という逆転した価値観を持つ者もいることが、この刑罰の限界を示しています。