芳澤壱ろは、新たな日本舞踊の旅路へ:中村富十郎の娘、渡邊愛子の挑戦

芳澤壱ろは、新たな日本舞踊の旅路へ:中村富十郎の娘、渡邊愛子の挑戦

日本舞踊の芳澤流家元として「芳澤壱ろは」を襲名する渡邊愛子

歌舞伎の人間国宝だった中村富十郎さん(2011年没、享年81)の長女、渡邊愛子(21)が、本格的に日本舞踊の道に進むことが決まった。芳澤流家元として初代「芳澤壱ろは」を襲名し、新たなスタートを切る。そのお披露目となる「壱ろはの会」が21日、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で行われる。

愛子が生まれたのは、富十郎さんが74歳のときだった。彼女は7歳のときに父を亡くしたが、たくさんの思い出が残っている。「父と隠れんぼをしたり、ディズニーランドに行ったり…」と語る。幼くても、父は彼女を一人のレディーとして扱っていた。誕生日には「あなたは7歳になりましたね。すてきな女性に育ってくれてうれしい」という手紙やバラの花束が贈られた。短い時間でも、愛子は計り知れない愛情を受けて21歳になった。

愛子の母は日本舞踊の吾妻流宗家・初代吾妻徳穂であり、父の富十郎さんも踊りの名手だった。父は娘の将来について「息子(中村鷹之資)には歌舞伎があるが、もし愛子が舞踊家の道に進むなら、そのときは芳澤流を立ち上げ、初代『芳澤壱ろは』として活動していけばいい」という遺言を残していた。このことを宗家藤間流の前宗家、藤間勘祖に頼んでいたという。「壱ろは」と書いて「いろは」と読む。

現在、学習院大学(文学部日本語日本文学科)の3年生である愛子は、学業と両立させながら舞踊の道を本格化させることを決めた。初舞台は6歳のときだったが、2歳頃から日舞の稽古を積んできた。「踊りを嫌いになったことがなく、ほとんど日常の一部のようでもあります。踊りにはその人の人間性がとてもよく出ます。父の踊りを振り返ると、スカッとする気持ちのいい踊りをしていたと思います」と語る。舞踊に、表現の無限の可能性を感じるようになった。

襲名舞踊会「壱ろはの会」では、最初に「種蒔三番叟(たねまきさんばそう)」を披露する。愛子が千歳役を務め、藤間勘十郎が特別出演して三番叟を舞う。もう一つの演目は「鐘供養芳澤絵姿(かねくようあやめのえすがた)~壱ろは道成寺~」。初代中村富十郎は元禄期の名優、初代芳澤あやめの三男で、「京鹿子娘道成寺」を生み出したとされる。この背景から、新作舞踊が創作された。「当日まで詳細は申し上げられないのですが、みなさんの想像とはかなり違うものになるでしょう」と愛子は説明する。

伝統芸能の世界で生きていくことは非常に大変だと覚悟しているという愛子。「古典の一方で自分にしかできないものを求めつつ、新しい舞踊にも挑戦できれば」と語る。富十郎さんによく似た柔らかな顔立ちだが、舞踊にかける思いは揺るぎなく、強固なものだ。

兄は若手注目の歌舞伎俳優・中村鷹之資。「愛子は一緒に踊ると、僕の方がズタボロになるほどしっかりしてます」と苦笑しながら話す。愛子が日舞の道に進むことについては、「ひとりの舞踊家として、流派をおこし、ゼロからつくっていくことは苦労もあると思う。でも本人が決意したことなので」と見守るつもりだ。

愛子の挑戦は、伝統芸能の新たな道を切り開く可能性を秘めている。彼女の柔らかな顔立ちと揺るぎない意志が、日本舞踊の未来を照らす光となることだろう。